北陽千鳥の歴史
history of “hokuyo-chidori” sauce

日本特有の甘味のあるソースの誕生

終戦後の日本では戦時中からの物資不足で砂糖が不足したことにより、甘味のあるソースは少なくなっていました。しかし昭和20年頃、複数の人工甘味料の使用が許可されたこと、戦時中の甘味不足の反動から甘味のあるものが好まれたことから、甘いソースに人気が集まりました。甘味のあるとんかつソース、フルーツソースなどが誕生したのち、昭和30年代後半にはウスターソースと濃厚ソースの中間的な粘土の中濃ソースが生まれます。東日本方面で急速に普及していきました。

歴史のまち足利で誕生した北陽千鳥ソース

昭和21年、日東産業は今市で個人商店として立ち上がりました。当時は幅広い商品を扱っており、創業者は食の洋食化にも積極的でした。商品の一つとしてスパイスを取り扱っていたことをきっかけに、ソースの製造が始まったのです。そのうち今市、足利を2拠点として夫婦で事業を展開していき、親から子へ引き継ぐタイミングで足利が中心となっていきました。

甘味料の規制により大きく変化したソース業界

昭和43年頃、ソース業界に大きな転換期が訪れます。多くのソースメーカーが使用していた複数の甘味料が相次いで使用禁止となったのです。これを機に、ソース業界全体が品質の高さを競う時代に突入しました。こうした時代の中でも、私たちは柔軟に変化し、より品質の高いソースを目指して製造技術を磨いてきました。

"北陽千鳥ソース"の誕生と相田みつを氏

北陽千鳥ソースのロゴマークである千鳥の文様とロゴタイプの組合わせは、創業初期から大切に受け継がれ、ソースと共に多くの人々から愛されてきました。 この特徴的なデザインは、創業者の旧友であり、のちに高名な詩人となる足利出身の詩人相田みつを氏が、若かりし頃に制作したものです。北陽千鳥ソースと共に歴史を歩んできた私たちにとって大切な財産です。

新工場設立、新たなステージへ

衛生管理のより一層の強化と物流環境の向上のため足利インター・ビジネスパーク内に新工場を設立しました。充実した製造環境のもと安心・安全な製品の製造に努めています。親子三代に受け継がれてきた想いを大切に、これからもお客様、取引先、仕入れ先そして地域社会から愛され、信頼される企業を目指していきます。